テレビの外側

社会人4年目、テレビ局を辞めた話

新卒から4年間働いたテレビ局を退社した。そんな話をしようと思う。

これからテレビ局に就職しようと考えている学生の方々、そして今働いている20代から30代くらいの若手に読んでほしい。

筆者自身ローカル局で働いていたためローカルの視点も多いが、テレビ局全体としての視点も書いているのでそれなりに読み応えはあるのではと勝手に思う。

断じてテレビ局への「就職をおすすめしない」とか「辞めた方が良い」とかそう言いたいわけではない。4年間局内で働いて構築した、筆者なりの「テレビ論」を展開させていただく。「テレビ局に就職したい」という人たちは当然応援するし、少し気が変わったかもしれないと思う人がいても良いと思っている。

重々皆が承知していることが大部分かもしれないが、読んでくれた方々に何か得られる視点とかがあれば幸いである。

テレビ局に入社した理由、退職を決意した理由

テレビ局に入ったのは「コンテンツを作るのが好きだったから」これに尽きると思う。

学生時代は映画を作ったり、大学祭のステージ運営を行ったりと何かとコンテンツを作る場に身を置いていた。自分が書いた企画が観客にウケる瞬間は何にも変え難いと思う。自分が思い描いていたようにコンテンツが進み、思い描いた部分で笑いが起こる。それが達成された時の自分の体が一瞬で乾いていく感覚、あの興奮を仕事にしたいと思った。

小さい頃からテレビが好きだったし、なんならお笑い芸人になりたかった。それもあってテレビ局を志望して各局を受けた。

東名阪の広域局を中心に受けていたが、キー局は最終落ちを繰り返した末、身の丈にあってるのかなと思った局に入社を決めた。

仕事内容の言及は避けるが、正直仕事としては何も不満はなかった。人間関係、裁量、ワークライフバランス、給与、どれをとっても最高の環境は与えられていたと思う。

退職を決意したのは、放送産業のビジネスの限界を感じたから。10年20年これを維持していくことの困難性を感じたし、緩やかとはいえ右肩下がりしていくこの産業・会社に身を置く覚悟が足りなかった。将来のことを思うとなるべく早めに外に出て経験を積むべきだと考えて、新卒から4年間で外に出ることを決意した。

テレビはインターネットでは戦えない

20年くらい前までは、映像コンテンツの圧倒的覇者はテレビだったと言って過言はないでしょう。学校に行っても話題は昨晩のテレビの話だし、社会人も「天気」と同列くらいの話題としてテレビがあった。テレビの中で選択肢は、日テレ、TBS、テレ朝、フジ、テレ東と5つくらいしかない。wiiやTSUTAYAで借りてきたDVDが食卓のテレビを奪う夜もあったけど、逆にいうとライバルはそのくらいしかなかった。「映像コンテンツ」と言えば「テレビ」だったのだ。(余談だが、iPhoneが日本に来た当初ワンセグがないからといって流行らないと言われたりしたくらいなのだ。)

今はどうだろうか、選択肢が何万、何十万、それ以上とある。YouTube上には何万とチャンネルがあるし、Netflix、PrimeVideoといったビデオオンデマンドプラットフォームだってある。コンテンツの選択肢が発散しまくっているのだ。

確かに、人間のコンテンツ接触時間は20年前より増えたが、同時にそれとは比にならないくらいに選択肢が増えた。

テレビもインターネットに本気で乗り出せば良いみたいなことを言われるが、焼け石に水に近いものを感じる。

テレビがインターネットにコンテンツを流すというのは、この無限とも言えるコンテンツの選択肢の中にコンテンツを投入していくということ。そんなことで、一人当たりに締めるテレビ局のコンテンツの割合は維持できるのであろうか?

こう考えるとローカル局は本当に厳しいものがあると思う。YahooニュースやYouTubeなどのプラットフォーム上にコンテンツが流れることはあるが、企業レベルで見れば小遣い稼ぎ程度しかない。ビジネス視点では主戦場は圧倒的に地上波であり、そこへの接触を戻さないといけないのだが、そのミッションは困難極まりない。

TVerといったテレビ局資本でインターネット上にプラットフォームを作る事業も多数あるが、それも懐疑的には思う。先も述べたように、YahooニュースやYouTubeといった外部プラットフォーム上にコンテンツを流していくことは、テレビ局のクリティカルなビジネスにはなりづらい。ゆえに、テレビ局自体がプラットフォーマーになっていかないといけないのだが、そこで地上波同等のインパクトを生むことは難しい。

正直地上波ほどコスパの良いビジネスもなかなかないと思う。少し語弊があり棘のある言い方だが、地上波はアンテナ立てて電波を垂れ流しさえすればいいのだ。。視聴者が増減することによるスケーラビリティも考える必要はないし、セキュリティといった概念もない。影響力の割に依存するものとケアするものが極端に少ない。ゆえに自由度も少ないが、安定性がすこぶる高い。さらには免許事業ゆえに地上波としてライバルが増えることもない。

テレビ局が作ったインターネット上のプラットフォームたるTVerは現に稼げているのだろうか?答えとしては否である。在京キー5局が中心となり、在阪5局+電博などの広告会社が出資している事業であるが、年間売上が50億程度なのだ(2023年)。キー局は、1局のホールディングスとして年間5000億超稼ぐ局もあることを考えるとインパクトとしていかに小さいかがわかる。ここからTVerユーザーが仮に10倍になろうとも単純計算地上波に変わる柱とはならないだろう。

何が言いたいかというと、実質的に日本全国へのリーチを持つキー局ですら、インターネット上の事業ではこの程度なのだ。
(なのでTVerから各局のhuluやFODなどのサブスクサービスに接続させようとしているのが使っていると透けて見える。各サービス100万〜300万くらいのユーザーは抱えており、月額1000円と考えると120億〜360億くらいの売り上げにはなるだろう。)

資本もケイパビリティも少ないローカル局が今後インターネット上でビジネスを行なっていくことがいかに難しいかが分かるのではないであろうか?

インターネット上で、コンテンツビジネスを行うことがいかに難しいか。選択肢が膨大になったことで、YouTuberのような個人では稼ぎやすい時代になったが、中小企業であるローカル局レベルでは本当に難しいと思う。特に地上波と同等のものを求めることがいかに困難極まりないか。テレビならなんとなく大丈夫だろうという楽観的な考え方を持っているなら、少し計算して見直してみてほしい。

これからの決裁者は誰だろうか?

言うまでもなく、テレビの影響力は徐々に徐々に減少している。コロナが明けて様々な企業が史上最高売上高を記録するなど景気は上向いていると言っていいはずだが、売上でコロナ前の水準未満のテレビ局がほとんどだ。(キー局ですら)

そもそもテレビ局の主な収入源はCMである。では、CMの値段というものはどのように決まっているのだろうか?「タイム」と「スポット」などCMにも色々と種類があり値段の決定方法も様々ではあるが、話の単純化のため大まかに言えば「視聴率×単価」でCMの価格は決まる。

視聴率はご存知の通り、どれだけその番組を人が視聴しているかという指数である。そして、単価というのはテレビCMの需要などで変動する価格である。例えば、景気が良くて多くの企業が広告費などを余しておりCM需要が高い場合には単価は上がり、景気が悪い場合は単価は下がる。コロナで巣篭もりが増え視聴率が上がったにも関わらず、テレビ局の売上が上がらなかったのはこの単価がコロナ禍で下がっていたためである。

そして流せるCMの時間量というものも実は最大値が決まっており、放送時間の18%程度が目安である。なので需要が高いからといって、番組時間を削ってCMにすると言ったこともできないのである。(出稿額を増やすテクニック的に、CM時間もは当たらない情報番組内で扱うことを付加価値としてスポンサーからお金をもらうという手法もある。)

では、テレビ局が今後売上を維持していくためにはどうすればいいのか?視聴率が今後改善されることは先も述べたように選択肢が発散した中、正直期待できない部分である。となると、もう一つの変数「単価」を上げていくことしかないのだ。

景気やインフレを理由に単価をあげること自体はある程度説得力があるが、下がった視聴率分を補う理由は見当たらないと思う。インターネット広告よりテレビの方が「箔」はあるかもしれないが、そう感じる人も今後どんどん減っていくと思う。

今の大人たちは自分含め「テレビ世代」な人間であるが、テレビの接触が少ない人間がどんどん大人になっていくと思うし、今の大人たちですらテレビから離れ出している。テレビ局に勤めてはいたが自分もテレビを持つ必要性を感じれずテレビを持っていないし、実家に帰っても両親もスマホばかりでテレビを見ていない。

なんだかんだ大企業は広告を余しているからテレビに使ってくれるみたいな論調を言う人もいるが、そういったナショナルクライアントたちも昔ほどどんぶり勘定ではなくなってきていると感じる。インターネット広告がこれだけ詳細に効果測定ができる反面、テレビ広告の詳細な効果測定は技術的にも難しい。(詳細にできてしまったらそれはそれでテレビ広告の弱点が顕著に現そうでもある。)企業のマーケティング担当の方々もかなり詳細に広告の最適化を考えるようになってきており、テレビへの出稿も減少方向には向かえど増加するという考え方はないのではないかと思う。現に有名どころでは資生堂などは、広告戦略をデジタルにシフトすると公言している場合もある。今後こういった戦略をとる企業は増えていくのではないだろうか。

正直現状はテレビ広告という「箔」がうまく機能している感は否めないと思う。高齢者中心ではあるが、まだまだテレビを見てくれている人は多い。10年後、20年後は、テレビを見ない層がシフトしていく。そして、今テレビを見ている人たちもテレビから離れていっている。そこまで行った時、「箔」だけでは説明がつけられないと懸念している。

テレビ局の価値とは?

テレビ視聴環境と収入源としてテレビ局の厳しさを綴ってきたが、テレビ局のバリューってなんなんだろうか?バラエティ、ドラマ、スポーツ、情報番組と色々とテレビ局はコンテンツを生み出しているが、本質的には「報道機関」なのである。バラエティ番組やドラマをほとんど作らないローカル局は、特にここが大きな役割なのである。

そう言った意味では民間放送局は、バラエティ番組やドラマという娯楽コンテンツを制作して収益を確保し、その収益で報道を行うというビジネスモデルだ。NHKや新聞は消費者からお金を取っているが、基本的に視聴者から金銭を徴収しない民放はここがビジネスモデルとして大きな違いである。

報道機関という役割は、社会的にも必要不可欠な要素ではあるためテレビ局は無くなりはしないと思う。だが、今まで民放はそこに上乗せする形で「コンテンツメーカー」という大きな市場の役割も担ってきた。ビジネスの視点から言えば、本来のテレビ局の存在価値とは逆で、コンテンツメーカーという役割の傍らで報道を行なってきたとも言える。コンテンツメーカーという役割を果たすためにこれだけテレビ局は大きくなってきたと言っても良いはずだ。今その立場が揺らでいる以上、報道という視点に立ち返った時、報道という役割に今の売上は本当に見合ったものなのだろうか。

災害時などのいざというときの情報インフラとして報道機関は確かに必要ではあると思うし、その価値に値付けはしづらいのは確かである。だが、多くの県にNHK含め5局以上テレビ局が存在し、通常時は番組のほとんどをキー局から受けて放送しているだけなのだが、それは社会を大域的に見た時非効率であり人とリソースをかけすぎではないのか?という疑問が浮かぶ。

端的に言えば、報道という本来の役割に対して今のテレビ局はオーバースペックなのではないかということ。

コンテンツの王としてテレビが存在した名残としてオーバースペックなのである。

そして各局はそれをなんとかして維持しようとしているということ。

コンテンツを生み出すにしても、選択肢が無限に増えて消費が加速したためコンテンツの単位時間あたりの価値は下がっている。もうその規模を保つのには限界がきているのではないだろうか。

後ほど今後のテレビ局の未来予想のようなものを書くが、特に多くのローカルテレビ局は「報道機関」という役割を果たすのに最低限の規模にシュリンクしてもおかしくない意識は必要だと思う。

テレビ局の未来

テレビ局が現在日本に何局あるかご存知だろうか?生涯関東で育ってきた人たちは、NHK、日テレ、TBS、テレ朝、フジ、テレ東くらいしか知らないかもしれないが、全国には127局の地上波放送局が存在するのだ。

東京、大阪、名古屋のテレビ局はそれぞれ関東広域、近畿広域、中京広域といって複数の県に跨った放送エリアを持っているが、それ以外の県のテレビ局はその県のみを放送エリアとして持っている。これは特定地域の情報に偏ることで、それ以外の地域にてその地域の情報が得られなくなるということを防ぐということを意図している。

それを一旦テレビ局の背景として、地上波放送という産業が衰退していく中、テレビ局各局はどうやって生き残っていくのか?

基本的には以下のような方針だと思う。

  • 放送事業に変わる新規事業開発
  • 経営の効率化

この2点についてだが、記事が長くなってきたのでまた別の記事にまとめようかと思う。

結論的にはどちらも難しく、特に後者の論点は大人たちが議論はしているものの課題が多いのは現状ではある。が四の五の言ってられないフェーズにはテレビ局も入ってきており、本腰を入れ始めてもおかしくないかとは考えている。

それではまた。

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